Towards ethics of being placed” Mixed media, 2026
2026「汽水域 ― 自分なりの泳法をめぐって」at 東京藝術大学大学美術館 陳列館 1、2階
アーティスト|Scott Wade、尾山直子、鍛治瑞子 × 遊舞舎、小林万葉、齋藤大暉、ひすい、村本剛毅
共同キュレーター|安東基、ウカセン、奥田実花、栗田華子、陳思瑶、畠山栞那、林文萱
グラフィックデザイン|関川航平
主催|東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科
共催|一般財団法人カルチャー・ヴィジョン・ジャパン
Technical support | Yousuke Fuyama
Curator | Motoi Ando @and_moto.i
このプロジェクトは、 2026 年に制作した立体キネティック作品である。ステッピングモーター によって制御された2つの磁石が砂鉄の下を移動し、複合円、リサージュ曲線、ランダムな 直線運動が一定の周期で入れ替わり、絶えず変化する磁場を生成する。時間経過とともに砂 鉄は磁場によって応答しながら、一時的な形態を形成しては再び他の配置へと移行していく。 機械的な挙動と鏡および単管による無機的な構造のなかで、砂鉄の動きに生物的な印象を立 ち上がらせる。それと同時に、その運動は惑星を想起させ、身体感覚と天体的なスケールの 間を往還する視点を開いていく。 私たちは、天体の周期や季節の反復のなかを生きている。しかし、同じ場所や同じ時間に再 び出会うことは決してない。AI をはじめとする技術によって世界との関係が再編される現在、 人間は環境や技術、他者との関係性のなかで、自らの位置を改めて問い直す必要に迫られて いる。 倫理観は時代とともに変化し、ときには結果によってしか正当化されえない。倫理は、何が 正しいかを断定するものではない。規範や教義、物語によらず、大きな流れに立ち会うとき、 倫理とは何か。言語規範なのか。出来事への応答なのか。それとも、空間のなかで引き受け られる配置なのだろうか。 正しさを確定できない状況に立ち尽くす現在、本作は、変化し続ける世界の中で、倫理を引 き受けるとは何かを問いかける。それは、現象に巻き取られながらも、この「対象なき祈り」 の場に自らを置き続ける態度についての試みでもある。
2025「Human( )Non-human」at 229 gallery
Body | 牧野李砂 小林万葉
Install | davo. 礒崎裕生(YUKI ISOZAKI)
身体とデジタルメディアの偶発的な現象の空間に生まれる畏れと魅惑の感情体験と、その2つのメディウムの間の異なる次元に偶発的に生じる瞬間的な表象に着目し、「無我」の体験から個を超えた別の存在に移ろうプロセスに関心を向けてきた(個展”Imperf”, 2023)。この展示は、表象を機械視覚やデータ処理によって空間・時間的に再構築する試みである。同時にそれが人間的な感傷(プンクトゥム)や自我や自己を超えた存在論的領域に踏み込み、身体を含む全ての要素を計算可能な無数のデータポイントとしての表象が時間・空間・存在論に開かれていると考える。従来の人間主体、ナラティブ中心のアプローチから離れ、世界との関係を考える実験的な場とする。
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/Mayo-Kobayashi-Human-Non-human/229-gallery/2025-01-24#google_vignette
2024.09.03-07 グループ展「Polterguist」at 元映画館
概要「Poltergeist(=騒がしい幽霊)」は、7人の作家による共同制作展。 20世紀以降、人類の科学技術は急速に発展し、今日のAI進化は新たな技術的転換点と考えられている。そうした状況下において、再び「技術」をめぐる問いが注目を集めている。本展では技術と精神エネルギー、あるいは霊的エネルギーと物質との関係を探る。20世紀ヨーロッパにおいて広くスピリチュアリズムないしオカルティズムが流行したことは有名だが、発明家のトーマス・エジソンも当時そうした流行の中にいた一人だった。晩年のエジソンの取り掛かった仕事である霊界通信機に着想を得て、技術およびメディアの領域に再び「霊的エネルギー」という概念を持ち込む。展示空間には、映像作品と自動楽器を用いたインスタレーションが配置され、これらのテーマを視覚的・聴覚的に体感できる構成となっている。
<参加作家> 川原圭汰、岸裕真、小林万葉、清水恵人、戸谷太佑、星加曜、水野幸司
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/Poltergeist/5-CA-747-D2/2024-09-03
2023「Imperf」at √K Contemporary
なぜ、絶対的な死を迎える生命体が私自身であろうとする衝動を持つようになったのだろう。この先、どのように人という生命体が構成され熟されていくのだろう。かつて身体「気象」と呼ばれたことがあったが、同時に身体の内と外を「観測」することにヒントがあるのではないか。自明的な世界が揺らぐ中で、新たなる心全体、あるいは全人格、あるいは魂と言われるものだろうか、世界と自己の関係をどう捉えていくのか。未完成な個が個を超えた別の存在に移ろう成り行きを観察し推測し続ける。
2022「Somesthesia-」at Aoyama Zero
人いらずの地下の祭事に突然出くわし、首筋に走る寒気や内臓に焼き付く高揚感が続く深い亀裂に落ちたような感覚を辿る。